すべての始まりは、中学生の時でした。アトピー性皮膚炎になり皮膚科へ、そこで出された薬がステロイドだったと思います。
それから十数年、かゆみが出てひどくなれば病院へ、治れば行くのをやめその繰り返しで、それでも私はステロイドに何の疑問も抱かず、普通の人と何ら変わらない生活を送ってきました。
そして就職をして4年程たった頃、仕事がとても忙しくなり精神的にも肉体的にも限界を超えた時、ステロイドが効かなくなり頬の赤みが消えなくなりました。
その時初めてステロイドに対して全く知識がなかった私にも、このまま薬を使っても治らないと思いました。
そんな時、同僚からある薬局を紹介され一度訪ねてみることにしました。
そこでステロイドの怖さを知らされ、すべての薬をやめ、健康食品による治療をはじめました。
その薬局にアトピナースのシリーズが何点かあり、お顔のお手入れにと使っていたところ、気分転換にと「くれえる」のエステを薦められました。
およそ16年使っていたステロイドによるリバウンドはつらいものでした。
顔は真っ赤にパンパンに腫れ上がり、外にも出られず、会社も数日休みました。
さらに、皮膚科で注射をしていたところからばい菌が入り、ひじから手首まで腫れ熱が出ました。
この時、仕事を続けながら治す自信をなくし、不規則な生括、不規則な食生活、何よりも仕事によるストレスから体を解放してあげなければならない、と思い退職を決意しました。
退職後、8年半の一人暮らしから両親のもとに戻りました。
仕事のストレスからは解放されたものの、やはり環境が変わったせいか顔の赤みはなかなかとれず、一進一退を繰り返していました。
そこで、健康食品のなかにも漢方薬などが含まれていたため、薬局から出されている健康食品をやめてみることにしました。
すると、およそ2ヶ月後、両方のほっぺたから黄色い汁が出て、べたっと分厚くて黄色いかさぶたが私の頬に張り付いたのです。
蓮井先生からこうなることは聞いていたのですが、やっぱりという気持ちといつ治るんだろうという先の見えない不安から、何をする気力も失い、ただただぼーっとしている日々が過ぎていきました。
もちろん外には出られず、台所の食べ物の匂いや油の匂いなどがほっぺたに張り付いている黄色いかさぶたにまとわりつくようで台所へ行くことができず部屋まで食事を運んでもらったりもしました。
この時のことを思い出すのが一番つらくて、でも私は鏡を見なければそのひどさはわかりませんが、両親は私以上に辛かったと思います。
でも、私は自分の事だけで精一杯で、両親の気持ちを考える余裕もなく、ひどいことを言ってしまうことがたびたびありました。
辛い日々はまだまだ続きます。
黄色いかさぶたが自然にとれるのを待っているのに横を向いて寝る癖がついていたため、枕にほっぺたがついてかさぶたがとれてしまったり、さらに寝ている無意識の間にかさぶたをとってしまったりとなかなかよい方向には行きません。
蓮井先生とどうしたものかといろいろ考えて、まず上を向いて寝ること、そして寝ている間に手が顔に届かないようにと長袖のパジャマの袖口を安全ピンでパジャマの脇にとめて手を固定させて寝たり、ベルトをしてタオルで手首を縛ってそのベルトにくくって固定させたりと試行錯誤しました。
しかし、なかなかかさぶたはとれず、少しずつ体の方もかゆみが出てきました。
そして4ケ月程が過ぎた頃また次なる試練が訪れました。
アトピーからくる白内障です。
すぐに手術をすればよいのですが私のアトピーがひどかったため、なかなか出来ず、先送りにしている間に暑くなってきて、今度は暑さのため手術の決心がつかなくなっていたので、一応、涼しくなる10月の上旬に手術をすることになりました。
白内障、お年寄りの方がなる病気だと思っていました。
実際、すり硝子を通して全てを見ているようで、明るいところに行けばいくほど見えないので、外の階段が見えなかったり、食事をしていても何がはいっているかわからないのでおいしくないし、なによりも一人で何も出来なくなってしまったことが辛かったです。
そして、老人性の白内障とは違ってかなり進行は早く、3ケ月後には右目が見えなくなってしまいました。
そして、眼科の先生から手術を急ぐように言われ、心配していた顔の黄色いかさぶたも少し前からプロポリスを飲んでいたこともあって、だいぶん薄く小さくなっていたので9月の上旬に変更しました。
手術は無事終了して、白内障も治り、視力も以前ほどではありませんが元に戻りました。
何よりも心配していたアトピーも悪くなることはなく、むしろ良くなっていました。
そしてその2週間後、ストレスがアトピーにとって1番の大敵だということを再確認しました。
ここ数年リハビリセンターに入所していた車椅子の祖母が、1年近くお見舞いに行けない私に時々電話で励ましてくれていました。
その祖母が、突然亡くなり、退院してから1度もお見舞いに行っていなかった私は行かなかったことを後悔しました。
心配させないように、もう少し良くなってから行こうと思っていたのに、でも目は見えるようになったんだから行けたのに、そんなことばかり考えていました。
するとみるみるうちに、顔は赤くなり黄色いかさぶたは分厚く大きくなり、手もかゆくなりました。
しかも、今まで家には3人しかいなかったのに、お葬式ということもあって、家には毎日人がいっぱいという状況に体が耐えられなかったようです。
どうしていいのかわからなくなっていた私は蓮井先生に相談して、なんとか乗りきることが出来ました。
そして数日が過ぎ、元の3人の生活に戻るとあっという間に顔も手も元に戻りました。
今、こうして振り返ってみると大変な1年でした。
アトピー、白内障、祖母の死、これだけのことを乗り越えてきました。
自分でもよくがんばったと思います。
そしてなによりも両親に感謝しています。
正直なところ、くれえるの化粧品は安くありません。
その上、体にもクリームを塗るためたくさん使うので支払う金額もかなりの金額になります。
でも、何も言わず出してくれました。
そして父は、去年くれえるに行くとき、眼科に行くとき、運転の出来なくなってしまった私を、いつも会社を休んで連れて行ってくれました。
母は、私は何も出来ないからと言いながら、朝早く起きて昼食の用意を、仕事から帰ってはバランスのとれた夕食を作ってくれました。
それを約半年ほど毎日写真に撮り、蓮井先生のアドバイスを受けました。
辛いなかにも両親の何かあったかいものを感じました。
あのころは他の人の私をみる目、何ともいえない目がいやで人と会うのを避けていました。
どこかかわいそうにとか、すごいなあとか、そういう目をしているように見えたのです。
そして、笑われたこともありました。
もし、アトピーの人を見てもそんな目はしないでほしいと思います。
今でもそうですが、人に会うときすごく勇気がいるのです。
でも、蓮井先生や蓮井さん、くれえるの人たちは、普通の人と同じ目で私を見てくれていました。
ほとんど家を出ることがなかった私は、唯一家を出てくれえるに行って先生とおしゃべりするのが楽しみでした。
そしてやっとここまで良くなりました。
まだ、完全ではないので、さらに良くなるように、今年こそはいいことがあるように、前向きにがんばって行きたいと思います。