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79歳で小ジワのない嬉しさ

今、思いおこしてみますと、昭和33年、私、33歳。
民放4局開局、致しました。
コマーシャルタレント、第一期生養成・朝日放送テレビ~編成局・毎日放送テレビ~編成局・読売放送テレビ~編成局・関西放送テレビ~編成局(広告会社)電通、大広、博報堂他(スポンサー)サントリー、福助足袋、小野薬品他、東京は、3年前より始動。
その試験が大阪電通局、7階ホールであり、2400名位の中より、50名、えらばれた中に、私も入って居りました。
毎日、2年間、標準語=泉田行夫先生、日舞=花柳先生、洋舞(バレー)=西野先生、演技芝居=毛利菊枝先生、朗読=吉川佳代先生、殺陣=東映の殺陣師の先生、デンマーク体操他、広告論、テレビの仕組み他、色々勉強させて頂きました。
テレビのメイク、映画、芝居のメイク等、その頃、各局の化粧メイク室の化粧は「、マックスファクター」の棒状のスティックでした。
原料は「、石油」。
色数は相当数あったのを記憶しております。
その頃、長谷川一夫先生、高峰秀子さんと、宝塚映画「浮雲」他2本の映画で御一緒させて頂きました。
映画、カラーは、テレビもライトが強いのです。
2、3年位、過ぎた頃、私の顔が、真っ黒になり、クチビルの端一ミリを残した後は、印度人もビックリ。
皮膚科の門をたたきましたが「、ビタミンC」の注射、ハイシーの飲み薬だけでした。
顔が真っ黒では、仕事は出来ません。
外出も、出来ません。
その頃、テレビで“、リール黒皮症”の方々が、化粧品会社を訴えていたのが、記憶にあります。
京都のお友達が、ある日“、くれえる化粧品”を持って、御見舞に来てくれました「。これ、ええ化粧品やと思う、一度使ってみたら」この時が“、くれえる化粧品”との、初めての出会いです。
「外出」出来ない、家の中ばかりいる私。
夕方庭先で、水まきをしている私の顔を見て、隣の奥さんが『、少し、顔、白くなってきはったんとちがう『』それ、黒いのん取れて来たら、その化粧品私にも紹介してなあ』三年後やっと、もとの顔に戻れました。
その後、CMの仕事に、復帰出来ました。
60歳過ぎ迄も、ありがとうございました。
79歳の今も、小ジワ一つなく過ごさせて頂いている私、くれえる化粧品のお陰です。
今迄の体験を生かして、くれえる化粧品を自信を持って、おすすめ出来る事、これが、これからの生甲斐です。
有難うございました。

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